7. Writer 神実
(騎士、姫君の元へ馳せ参じる……なんてな) しかも二名。 どうでもよさそうに考えながら、シリオンは驚異的な足の速さを披露する二人の後を追い、大木が目の前に見える中庭へと出た。 大樹の根元に問題の姫君はいた。 そのほっそりとした人影のすぐ隣に見えた大きな影に、オムレットは瞬時に緊張し叫んだ。 「ちょっと、シャラ!!離れて!!」 その声にシャラはきょとんとした顔で振り向いた。その足下にはパクウがいる。 うかつに近付けなくて立ち止まっていたオムレットに、駆けつけたケイス・ケイは張りつめた声で彼女に告げた。 「求緑獣(クールウフ)だよ。植物の気を吸って生きる、深い自然の中に住むモンスターだけど……」 「凶暴?」 「……普段はそんなことないけど……」 ケイス・ケイが眉をひそめて一点を見つめた。後ろからやって来たシリオンも、目を細めて同じように一点を睨んだ。 「……よく見えんが、あれ、怪我じゃないか?」 「うん。手負いだ」 手負いの獣が危険なのは、子供でも知っている事だ。 顔色を変えたオムレットがシャラに叫んだ。 「シャラぁ!!そいつからすぐ離れて!!そいつ手負いだよ!!」 「手負い……っ?!」 遠目で見ても解るほどに彼女の顔色が変わったのを、三人は恐怖のためと思った。 ……そんな訳がなかった。 「可哀想!どこ?!見せて!」 悲鳴(やや意味が違う)をあげながら求緑獣に飛びつくシャラに、自分の方が悲鳴をあげそうになりながらオムレットが裏返った大声でシャラに怒鳴った。 「なっなっなに、なにやってんのシャラぁーっ!!危ないってばああっ!!」 「だって!怪我してるんでしょ?!治してあげなきゃ、可哀想だよ!」 涙目で叫び返すシャラの気迫に、思わず黙り込むオムレットの背後で、シリオンがぼそりと呟いた。 「生物に関するとなると、怖いな」 「あの子がそばにいたら攻撃できないよ……魔法でなんとかならないかな?」 困ったように尋ねるケイス・ケイに、シリオンは表情一つ変えずに考え込んだ。 「まあ、その手も無くはないが……やめておいた方がいいだろう」 「何で?」 「怪我一つで可哀想とか言う奴の目の前であの求緑獣を殺すのか?……次は私が殺されるさ」 そう言って黙り込んだ彼女から、ケイス・ケイはものすごく納得して目をそらした。 助けることができない。攻撃もできない。 動きようのない三人の前で、シャラは本格的に泣き出しながら求緑獣の腹部をさぐり、何かでえぐれたような傷を見つけた。 「何で……これ、どうして怪我したの?痛いでしょ?どうして……」 えぐれた傷口の周りにガラス片があった。どうやら屋敷の窓ガラスか何かにぶつかって怪我をしたようだった。 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら緑の毛並みを優しく撫でるシャラに、不思議と求緑獣も手出しが出来ないようだった。 感情の見えづらい黄緑色の濁った目が、戸惑いに滲んでいるように見えた。 その足下で、小さなパクウがおろおろと歩き回っている。 (……不思議な光景だな……人間に懐くようなモンスターじゃないのに……あの子は一体……?) 傭兵として色々な土地へ流れ歩いていたケイス・ケイは、モンスターと人間の関係というものが、どんなものなのかよく知っている。 人食いモンスターに悩まされる村もあれば、貴重な種族を乱獲し、絶滅に追い込んでいる国もある。 どんなものであれ、その二種間の関係は決して良好なものではなかったはずだ。なのに───。 目の前の、今、この状況は、この世界の常識を見事にくつがえしてた。 少女はモンスターの為に涙を流し、モンスターはそんな少女を傷付ける事が出来ないでいる。 (異質だ……これ、普通じゃない……) 「……ねえ……あの子、シャラは……どういう子なの?」 思わず、といった感じで漏れた言葉に、シリオンは何も応えなかった。 ケイス・ケイの中で『不審感』という感情が大きく膨らみつつあるのが、シリオンにも解ったからだ。嫌悪は含んでいないにせよ。 彼女は人間として異質である。 その印象は学者であるシリオンも抱いていたからだ。 学術的見地から物事を考える癖のあるシリオンは、短い旅の中でシャラ=クルエンタという少女のどうしようもない違和感を不思議に思っていた。 人間にしては豊かすぎる感受性、時に残酷ですらある無邪気さ、無知な割に全てを受け止めるかのような広大なキャパシティのようなもの……。 導き出される答えは、常に『違和感』だった。 不意に思い出してしまった疑惑に、シリオンは自分たちより数歩先に立っている友人の横顔を見遣った。オムも、シャラに対して何か違和感を持っているのだろうか? ふと、三人の視線に見守られていたシャラが動いた。 「ゴメンね……シャラには……『想って』あげる事しかできないけど……」 涙でかすんでいた大きな瞳が、一瞬暗い色になったように見えたのは、オムレットの気のせいだろうか。 そして、その色が、いつかの夜に見た『もう一人のシャラ』の瞳の色に近いようなのも……気のせいだろうか? 白い小さな手がいたわるようにそっと、求緑獣の緑がかった体毛の奥に隠れた傷口に触れた。 戸惑いがちだった求緑獣の目が刹那、険しくなった。大きな犬型の耳がびくりと揺れる。 「あぶなっ……!!」 オムレットとケイス・ケイが走り出そうとした瞬間、 「……え?」 誰の呟きだったのか、言った本人も解ってはいなかっただろう。 オムレットとケイス・ケイは駆けだした足を止めた形のまま、シリオンはその後ろで本に手をかけた形のまま、食い入るように目の前の光景を見つめた。大きく目を見開いて。 ───シャラの手から、白い光が溢れている。 かすかに歌うような音が聴こえる中、シャラの小さなてのひらから、薄紅色と白の中間ぐらいの光が、求緑獣の傷口を包むように広がっている。 「……こ、これって……」 「黙ってろ」 背後に立っていたシリオンに本で頭をどつかれて、オムレットは黙り込んだが、シャラと求緑獣からは目を離せないままだった。 「痛みがなくなりますように。傷口が治りますように。はやく元気になりますように……」 零れ続ける涙もそのままに、シャラは求緑獣に夢見るように語り続ける。 ───次第に険しかった求緑獣の目も、穏やかに和んだように見えた。 「……治癒の力……か」 ぽつりと呟かれたシリオンの言葉に、ケイス・ケイが驚いた表情のまま訊いてきた。 「そんな……癒しの力って、使える人間なんか……神官の、よっぽど高位のでもなきゃ……それだって、なんの媒体もなしに……?」 あり得ないよ、と呟いた。 「あの子、僧侶か何かだったの?巫女……?でも、この世界に巫女なんてほとんど……」 「……そういうものじゃ、ない。それは確かだ」 「そういうものじゃないって言ったって……」 「……あまり訊くな。答えられないんだから」 混乱しているのか形にならない質問をとにかくぶつけようとするケイス・ケイに、シリオンは額を押さえて溜息をついた。 少し仏頂面のままのシリオンの目に、求緑獣の目からはすでに殺気など消えているというのにそれでも心配そうな顔をしてシャラを見つめるオムレットの姿が映った。 つい苦笑して、シリオンは言った。 「少しの間の付き合いとはいえ、私達にも今一つシャラの事は解ってないんだよな……」 そもそも出逢いがアレだったし……と口の中で呟いてみせた。 シャラがどんな素性でも関係ない、ただあの子の事が心配なのだと言っている友人の横顔が、素直に可笑しかったのだ。 さて、オーヴェリアンはどこだろうな、と思いながら、傍らの、まだ呆然としているケイス・ケイを見上げた。 「……これで、もう大丈夫だね」 ようやく手を離したそこには、傷口が綺麗に消えてなくなり、緑がかった体毛が生え始めていた。 「よかったあ……もう痛くないよ?こんな怪我しちゃ駄目だからね」 微笑んだシャラに、求緑獣は黄緑色の瞳を向けると、一瞬の後ペロリとその長い舌で彼女の頬を舐めた。 |