20.


Writer 神実



 孤島で一人、眠っていた少女。
 赤い瞳を楽しそうに踊らせる、無垢で素直な、美しい少女。
 でも誰もこの子の事は知らなかった。

 たった一人で。


「な、何者って……あんたこそ……シャラでしょ?違うの?誰?」
 オムレットは目の前の現実がよく解らなかった。
 顔や躰に変化は無く、着ている服も変わらない。少し舌っ足らずな口調も変わってはいない。
 だが、このシャラはシャラではなかった。
 奇妙な感じだった。線だと思って見ていたものが、実は立方体の一辺だったと気付いたみたいな──。
 気配も、精神も、足下の影すらもが別のものになっていた。
 『シャラ』はクッと口唇を歪め、嘲るような笑い声をあげた。いや、はっきりと嘲っている。
「誰?我が誰かと?……我はバーセンダー。お前達全ての母だよ」
「母……?」
 意味不明なその言葉にオムレットは正直に眉をひそめたが、さっきから考えていた事を口にした。
「……あんたが……テウムかと思った……違うんだ」
「テウム?ああ、あの男……」
 先程から嘲笑の表情を崩さなかったのに、ふとそれを和らげたバーセンダーに、オムレットは驚いた。
「知ってるの?」
「当たり前だ。シャラに必要な存在なのだぞ」
(一体テウムってなんなの?)
 その言葉には、何のてらいもない、シャラへの慈しみに溢れていた。その事にオムレットはますます首を捻ってしまった。
「呑気にお喋りとは、驚きだな」
 不意に言葉が放たれた。
 驚いて振り向いた先には、足取りの危ない銀髪の友人が木により掛かって立っていた。
「リオ……あんた、フラフラじゃない……」
 その躰でよくもここまで歩いてきた、とオムレットが呆れた声をあげると、シリオンは疲れた溜息をついて、彼女に苛立ちの滲む眼を向けた。
「ふん、この人外魔境めが」
「な、なによぉそれえっ!!」
 叫ぶオムレットを無視し、シリオンは自分を静かに見つめる少女のかたちをした『何か』を睨むように見つめた。
 バーセンダーはその苛烈な視線から逃げることもなく、シリオンにうっすらと笑みを浮かべながら意外そうな声で言った。
「ほう……歩けるか。お前は人間であろう……生まれつき異常なのか、それとも気の力……というものか?」
 その言葉にわずかに眉をひそめたシリオンは、挑戦的な口調でバーセンダーに返した。
「人外みたいの言わないでほしいものだな……お前の方がよほどそうだろう。さっきの精波はお前か?」
 自分の気力の大半を奪っていった波動の事を指して、シリオンは言った。
 バーセンダーは視線を下に向け、自分を中心に広がる死体の山を見て何でもないように言った。
「ああ……この肉共を追い払うのに少々力を出してしまったかもしれんな。と言っても、私が『出て来た』だけの事なのだが……」
「出て来た……?」
「陰陽の陰が顕れただけだ。残念ながら今の我にはこの……躰しか居る場所がない」
 バーセンダーはそっと胸に手を当てた。ごく優しい仕草で、まるで愛しむように。
「この躰って……シャラはどこにいるのよ?!」
 それまで黙っていたオムレットが口を開いた。
 不安と怒りを綯い交ぜた彼女へと視線を動かし、「心配は無用ぞ」とバーセンダーは言った。
「彼女は今眠っておる。この躰は所詮彼女のものであるからな」
「……じゃあお前の躰はどこにあるんだ?」
 シリオンの問いに、『彼女』は何も応えようとしなかった。
 ふと、その足下に寄ってきて、小さく鳴くクロスマキツネに目をやった。
 手を伸ばし、そっと毛並みを撫でる。
「……ここはもはや呪われている」
「え?」
 突然言われた言葉に、二人は同時に聞き返した。
「シャラを、この子をここより連れ出すがよい。あの子をこれ以上ここに縛り付ける意味など無い」
「って……そんな、いきなり……あたし達が?」
「そうだ。『鎖の戒め無き者』、『司りし夜深き者』の二人……おそらくは……」
 口調がわずかに揺らぎ、躰から滲み出るような黒い光が見えた。
「バーセンダー?!」
「シャラの……シャラの大切なあの……あの男……捜してやり……我が大切な……この子の……」
 黒い光があふれるように立ち上ると、それは薄くなり、……やがて消えた。
 二人はしばらく呆然としていたが、シャラの躰が糸を切ったように草むらに倒れ込むのを見て、ハッと気が付いた。
「シャ、シャラ!!シャラ大丈夫?!」
 駆け寄ると、すぐにシリオンが脈を調べた。
「……大丈夫。眠ってるだけだ」
「よかったあぁ……」
「……よかったと言えるかどうか……」
 シリオンが溜息をつくと、不意にオムレットが慌てて言った。
「とりあえずシャラが起きる前に移動しようよ。ここぐちゃぐちゃだよ」
「ああ、そうだな。とりあえず……森の中へ」
 よいしょ、とシャラを背負い繁みの方へ歩き出すオムレットの前を行きながら、シリオンはぼそりと呟いた。
「あの死体……シャラの力、なんだよな……」
「……まだシャラかどうか解んないじゃん」
 自分で言ってて説得力ないな、とオムレットは思った。


「考えられるのは解離性の障害だな、まずは」
 森の中に入ってから少しした場所。高い木が繁る中、わずかに空いたスペースにシャラを横たえ、二人は雑談もどきの話し合いを始めていた。
「は?カイリ?」
「解離性。前に精神学の奴から聞きかじった症状なんだけど、今こうして話している自分とは別に、もう一人の人格が頭の中に存在する病気らしいんだ。その人格は時々躰の主導権を乗っ取り、その人格らしい行動をするらしい」
「ふーん……他に可能性は?」
「……色々あるけど……何か魔性のものに寄生されてる可能性もあるし……この状況じゃ判断は出来ないな」
 念のため、と言いながらシリオンは結界を張った。
 三角形の護りの中で、今だ眠りから醒めないシャラを、二人は困ったように見下ろした。
「とりあえず……起こす?」
「うーん……」
 少し悩んだように唸ったシリオンだったが、やがてこくりと頷いた。
 オムレットがシャラの頬をペチペチと叩いた。
「おーい、起きてー」
 身じろぎ一つしないシャラに、オムレットはやや乱暴に彼女の肩を揺すった。
「起きてっ、シャーラッ!」
「ん……」
 小さく声があがったが、自分自身の声の大きさに、オムレットには聞こえていなかった。
「シャラっ!シャラーっ!!」
「うるさいっ!まだ夜でしょ?!夜はちゃんと寝るの!!」
 突然飛び起きて怒鳴ったシャラは、シリオンとオムレットの二人が驚く暇もなくまたパタリと横になった。
「……確かに」
 納得したように呟くシリオンに、オムレットは、おい、と睨んだ。
 やれやれと溜息をついたオムレットは、髪をぞんざいにかき上げて言った。
「もっかい寝ちゃったけど……どうしよっか」
「……こっちも寝るか。疲れた……ったく」
 肩を揉みほぐしながらシリオンは言った。
 そうしよっかー、と言いかけたオムレットは、ある重大な事実に気が付いた。
「やばい!!」
「何が」
「お腹減った!!」
「……」
 シリオンは冷たい目つきでオムレットをしばらく見つめ、スッとはずして何事も無かったかのようにシャラの横に寝転がった。
「なにようっ!!」
 森の中に再びオムレットの叫びがこだました。


 翌朝、一番最初に目を覚ましたのはシャラだった。
「ん……?」
 ぼんやりした頭のまま周囲を見回すと、薄緑の膜のようなものが三角に自分を囲んでいる。
「……えーと……」
 状況が把握出来ずに、もう一度周りを見回した。
 すると、自分の両側に見覚えのある二人が寝ているのに気付いた。
(あ、こないだの……えーと……)
 すぐに名前が思い出せず、シャラは少し眉をひそめて考え込んだ。
(確かー……夜みたいな髪で、海みたいな眼の人がオムレットで……雪みたいな髪で、月みたいな眼の人が……シリオン、だったよねえ?)
 二人とも眼をつぶっているので眼の色は確認できなかったが、髪の色や顔形で何となく判別することが出来た。
 シャラは眠る二人の顔を覗き込んでみた。起きる様子は無い。
 眠るオムレットの顔は、起きている時より美人に見える。顔の造形自体は彫像めいているのに、そこに表情が表れると、美しさが隠れてしまう。
 シャラが頬をぷに、と押してみると、うーん、と呻き声をあげたが、起きる様子は全くなかった。首を傾げたシャラは、もう片方にいるシリオンの方へと視線を向けた。
 過激な瞳が白い瞼に隠されているせいか無表情さに磨きがかかり、硬質で中性的な美しさが強くなっている。
 しばらくその寝顔を眺めてから、シャラは身動き一つせず眠る彼女の頬を叩いた。さっきより起こし方が強いのは、しょうがないのだろうか。
「ねえねえ、起きてくださーい」
 ぺちぺちと叩き続けても指先一つ動かさないシリオンに、シャラは不満そうに口をとがらせ、叩く手に力を込めようとした、その瞬間、突如シリオンの瞳がはっきりと開かれた。
「きゃっ!」
 あまりにも唐突な目覚めに、シャラは思わず声をあげた。
「……」
 無言のまま気怠げに躰を起こし、前髪を掻き上げながら額を押さえると、驚きで固まっている少女の姿を視線に認めた。
「……起きた?」
 シャラに訊いているのか、自分自身に確認しているのか解らないような言葉に、シャラは返事をしなかった。
 ぼんやりと虚ろな眼を周りに向け、キョロキョロと何かを探し、標的を見つけると『それ』を思いっ切り蹴り飛ばした。
「ったああ!!」
「起きたか、おはよう」
「っ、蹴ることないでしょーっ!まともに起こしなさいよ、まともに!!」
「まともだろう」
「どおっこがあああ?!」
 起き抜けからいきなり騒がしく喚き立てるオムレットに、シリオンは寝惚けたような顔で辛辣な応酬をした。その二人を、転がり落ちそうなほど大きく眼を見開いたシャラは眺めていた。
「……ねえ」
 黙ってやりとりを見ていた彼女が口を開いたのに、二人は言い合いを止めた。
 小首をかしげながらシャラは尋ねた。
「何で二人ともここにいるの?」
 素朴な疑問に、二人はそろりと視線を合わせた。
「うーん……」
「もっともっちゃもっともだねえ……」
 悩んでいる様子に、シャラは追い打ちのように疑問をぶつけた。
「ていうか、ここ、シャラが昨日寝た場所と違うよ?なんで?ねえ」
 サクサク疑問を言うシャラに、シリオンとオムレットに小声で囁いた。
「なあ、どんどん突っ込まれてるんだが、どうしよう?」
「どうしようったってぇー……」
 うーん、と考え込んだオムレットは、不意にシャラに向き直って言った。
「ね、シャラ、この森出ない?」
 突然の言葉に、シャラはおろかシリオンも呆気にとられていた。
「一緒に行かない?三人で」
「イヤ」
 あっさり言われた言葉に、オムレットはがっくりと肩を落とした。
「えー……行こうよー」
「やぁだよ。……シャラはテウム待ってるもん」
「……じゃあ、そのテウムを捜しに行けばいいんじゃないか?シャラ」
 黙っていたシリオンの口から出た言葉に、今度はシャラとオムレットが驚く番だった。
「テウムを捜しに……?」
「ああ。外の世界にさ」
「あぁっ!!いいじゃんそれっ!!そうしようよ、シャラ!!捜しに行けば見つかるって!!」
 驚きから立ち直ったオムレットが叫んだ。
「こんな小さな森、見つけんの大変だもん!こっちから行けばイイんだよっ!!」
 ね!と笑顔を見せるオムレットを大きな瞳で見上げてから、シャラは遠くを見つめた。
「テウムを……」
「うんっ!」
「……捜しに行けば、見つかるかな?会える?」
 切実な響きに恋人への再会の願いが込められているようで、二人は言葉につまった。
「保証は……出来ないけど」
 オムレットは言葉に、シャラはうつむいた。
「……なら行かない。シャラ、ここで待ってる」
 かたくなな態度に、二人は困ったように顔を見合わせた。
 溜息をついてシリオンは立てた片膝に肘を乗せた。
「……そもそもこんな果ての森で、しかも重要自然財の島にそのテウムってのは何しに、どうやって来たんだ?」
 ふと、思いついたシリオンが言った言葉に、確かに、とオムレットも顔を上げた。
「やっぱり調査、かな?」
「調査ねえ……」
 首を傾げながらシリオンは言った。
「ね、テウムってどんな人だったの?どっから来た、とか言ってなかった?」
 オムレットの問いに、シャラは再び小首を傾げた。
「……そんなの言ってたかなあ?」
「話し方は?私達と同じか?」
 言語の違いはないが、大陸ごとにある発音や表現の違いを指して、シリオンは言った。
「んー……別に。シャラと同じだった。テウムはもっと丁寧な話し方してたけど」
 シャラの顔にわずかな笑みが浮かぶ。彼のことを思い出すだけでも幸せな気持ちになるのだろうか。くすぐったいような口調で続ける。
「あ、どっちかていうとシリオンの話し方に似てるかな」
「私?」
「ぞんざいでやる気無い上に悪意に満ちた話し方って事?」
 そりゃさっきと話が違うじゃん、と素でそう言ったオムレットの頭を、シリオンは後ろから本でどついた。
「テウムはねえ……優しーい人なんだよお?」
 痛い痛いとわめくオムレットにもかまわず、シャラは頬をわずかに朱に染めて、嬉しそうに呟いた。
 何やら嫌な予感が二人の頭をちらついた。



 






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