16.


Writer 神実



 二人の驚きの声は虚空にのまれ、一瞬の空白の後、彼女たちの周囲はどこかの部屋に変わった。
「……っ」
 ぽかんと口を開けてオムレットは自分以外の変化を見た。
 何が起こったのか解らない。
 確かシリオンの家にいたはずだったのに、ここはどこだ?
 呆然と周りを見回すと、どうやらそこは薄暗く窓のない、石壁の地下室のようだった。
 少し視線を上げると、わずかに光が漏れている所がある。どうやら階段があり、上に続いた先に扉があるようだ。
「ちょ、ちょっと……リオ、これってどういう事か解る?」
 基本的に暗く狭い所が苦手なオムレットは、何か答えが欲しくて問い掛けた。
 暗い所は自分を落ち着かなくさせる。何か重大なものが隠れてるような気がするのだ。
「どういう事って……考えつくのは転移魔法を使われたって事ぐらいだろう……」
「……リオ?どうかしたの?あんた顔色悪いよ?」
「……お前に言われたくない」
 憎まれ口を叩きながらも、シリオンの顔色は青ざめていた。額にうっすらと汗が浮かび、少しばかり息があがっている。
「その魔法で具合悪くなったの?」
「違う……別に何も……」
 シリオンは自分でも解らなかった。ただ、さっきから何か頭の中で黒く淀んだ火が燃えているような気がするのだ。
 この部屋には見覚えがある。
 いや、こことよく似たどこか……。
 冷たい汗を浮かべているシリオンを不審に思いながらも、オムレットは思考を巡らせた。
 空気の感じからいってそれほど遠くへは移されていないだろう。だが、目的はなんなのだろう?
 そう考えると、やはりここ最近の事件が思い浮かび、最終的にはあの少女に結びつくのだ。
(一体あの子がなんだってーのよ?あたし達の生命にかえてでも隠したいっての?)
 不意に、階段の上の扉がゆっくりと開かれた。
 はじかれたように顔を上げた二人の目に映ったのは、見覚えのある人物の姿だった。
「……!」
「あんたは確か……」
 驚愕に見開かれた二人の目に映ったのは、
「……ようやくお前を始末する機会に恵まれたよ、化け物……」
「……マルジュアン=メルゴアス……言語学部長のあんたが、何故……」
 そう、以前マトディの壮麗な玄関ホールでシリオンを待っていたオムレットを怒鳴りつけた、あの老人。
「ここはどこなんだ。私達を一体どうするつもりだ?」
 その質問に、メルゴアスは冷笑をもって答えた。
「そんな事より、もっと大事なことがあるんじゃないのかね」
「何……?」
「儂の手には今、これが握られてあるのだぞ」
 そう言って、後ろに回されていた右手を彼女によく見えるように掲げた。
 それを確認した瞬間、シリオンの躰が強張るのをオムレットは感じた。彼女の頼りなく立っている躰を気遣いながら、メルゴアスの手のものをよく見てみた。
 それは拳よりもやや大きな水晶で、綺麗な円い形をしている。透き通った色は中心にほのかな紅を含んでいる。
 オムレットは嫌な連想をした。その紅が、なんだか滲んだ血のように見えたのだ。
 メルゴアスは青ざめた顔のシリオンを見つめながら笑った。
「お前にはこれがなんだか解るだろう。そう……魔生呪の操作鍵だ」
「魔生呪……?」
 思わず呟いたオムレットに、老人は嫌な笑みを浮かべながら手の中の水晶を掲げて見せた。
「魔導学の連中が開発したしたものでな……ある種の魔法使いには躰のどこかに刺青が施されてある。それが魔生呪だ」
「……私の躰にもされている。右腿だ。……操作鍵があれば、被術者の躰を操る事が出来ると……」
 シリオンの言葉にオムレットはばっと顔を上げた。見開かれた目は驚愕に満ちている。
「そう……つまり今お前は儂の意のままという事だ」
 その言葉にシリオンは忌々しげに吐き捨てた。
「そしてお前は他人から与えられた力に頼るという事か。自分では何も出来ず。どうせその操作鍵もこの地下室への転移魔法も別の誰かが用意したんだろう」
「黙れ!!どちらにせよお前が不利なのには変わりあるまい!!」
 彼の言葉とともに水晶の血が揺らめいた。
 その途端、シリオンが激しく胸をつかんだ。目を見開き息をとめて突然の激痛に堪えた。
「……っが……」
「シリオン?!……何をしたのよ!!」
「余計な事を喋り散らすからだ。昔から気に食わない小娘だった。元々は実験動物としてここに引き取られてきたくせに」
 一人が痛みに悶え、一人が自分を睨みつける中、老人はつかの間、遠い空間に身をゆだねるように視線を空に彷徨わせた。
「思い出しても異様な化け物だった……近付く人間全てを焼き殺し、燃やし尽くしていた。マトディが実験動物として捕獲したというのに……あの異端者、ロンカドールめが、この化け物の事を弟子にすると言いだしおって……儂は反対したのだ!こんな化け物、あの異端者が飼うなど……」
 激痛に息を荒げながらシリオンにメルゴアスを熾烈な視線を向けた。
「飼われた……覚えは、無い。……っ飼おうとしたのは、お前達……だろう」
「ふん。化け物が。反抗的なところは師匠そっくりだわ。あの気の狂った異端者が死んでも全く変わらん」
「……ロンカドールが死んでるかどうかなど、まだ解っていない……!」
 苦しげにシリオンが叫ぶと、老人は憎々しげに眉をひそめた。
「生意気なお前の痛みに苦しむ顔が見られるから、と儂はこの仕事をしてやっておるというに……あの若僧め、こんなに喋るでは無いか。まあ、よいわ。お前の事は存分に弱らせていいと言っておったからな」
 オムレットは不意にこの老人が哀れになった。
 何故解らないのだろう?自分で自分を貶める事を口にし、振る舞っているという事に。
 自分では何も出来ず、出来ないくせに、他人からああやれこうやれと言われると、まるで自分の力のように喜んでそれをしようとする。
 なんて醜い、不様な姿だろう……。
 なんて馬鹿なんだろう?さっきから小さな火花がそこら中で散っているというのに。
 さっきからオムレットが静かだったのには理由があった。
 シリオンの周囲の温度が高まり始めている。石で出来ている床も、わずかずつ彼女を中心に亀裂が生じている。
 異端者の弟子の限界が近いことを、老人は気付いていない。
「化け物よ、苦しむがいい、涙するがいい。どこかで腐り果て、見捨てられたロンカドールのように!」
 
 ドクン──……
 
 一瞬、シリオンの鼓動が部屋中に大きく響いた。
 刹那の後、奇妙に静まりかえった部屋の中で、シリオンの指先から激しくパチリと火花が閃いた。
「な……なんだ?お前……」
 メルゴアスのわずかに動転した声が無意味に響いた。
 小さな火花は今やシリオンの躰全身を包み、赤い波動となって、銀の髪を逆立てていた。
 金の瞳は見開かれ、狂ったように宙を見つめている。
「……あ……」
 小さな声が漏れた。
 オムレットは咄嗟に彼女から離れ、床に伏せた。
「この……化け物、化け物が……っ」
 老人が水晶を握り込み、中の血色が揺らめいた。
 シリオンの淡い金の瞳が猫のように細まる。
「ああああああっ!!」
「ばっ、化け物がぁっ!!」
 部屋中の石壁に一瞬で亀裂が走るのと同時に、メルゴアスの躰から激しく血飛沫が飛び散った。
 メルゴアスの驚愕に見開かれた目から光が消えないうちに、オムレットは床を蹴って飛び出し、それでも握りしめたまま離そうとしない水晶玉を、抜きはなった剣でたたき壊した。
 粉々に打ち砕かれた水晶が床に落ちきる前に振り向いた彼女目に映ったのは、うっすらと赤い炎に身を包まれながら胸を押さえているシリオンと、床に広がる一面の真っ赤な血の海と、老人のバラバラになった躰と、──首。
(……エグイよね)
 ヤケなような苦笑いと共に、オムレットは剣をしまった。
「大丈夫?」
 血の海を避けながらシリオンの元へと歩み寄ると、彼女はまだ少し乱れた呼吸と、わずかに狂気の名残りが見える目で、声を掛けてきた友人を見上げた。
 その白い頬に血がついているのに気付き、だが拭うのも躊躇われたオムレットは、どうしようかと困ったようにポケットに手を突っ込んだ。
 銀髪の魔法使いは、たった今自分が殺したばかりのメルゴアスの生首を見つめながら、次第に息を整えていった。それとともに身を包む炎も薄らいでいった。
 息が整うと、突然ぼそりと言った。
「……『茨の塔』の、近くの研究施設の地下だな……」
「は?」
「ここの場所だよ。お前、操作鍵……水晶玉、壊したのか?」
「あ?ああ、うん。まずかった?」
「いや、その方が良かったんだ」
 そう言うとシリオンは突然ローブを払い、はいているゆったりとしたズボンの一部──右腿のあたり──を破り千切った。
「何すんの」
「後始末だ」
 ぎょっとしたオムレットの問いに簡潔に答えると、シリオンは本を取りだし『火』の項目を開いた。
 何となく先の予想ができて、オムレットは思わず顔をそむけた。
 ジュッという小さな音と、肉の焦げる匂いがした。数秒もしないうちに「オム」と声がかかった。
 シリオンはいつもと同じ冷たい無表情だったが、すでにローブで隠された脚からは、火の匂いがまとわりついていた。
「……消したってわけ?」
「ああ、まあな。この方が都合がいい。本当は前からこうしたかったんだ。それより」
「何?これからどうするの?」
「……とりあえず図書館へ行きたい」
「はああ?!あんたこーいう時までっ……?!」
「違う、馬鹿」
「じゃ、何しに行くのよ」
「せっかくだから、かっぱらいたい本がある」
 一瞬黙り込み、オムレットはさらに大声を出した。
「はああああっ?!」
 叫ぶオムレットを残し、シリオンはすでに階段を登っていた。
「ったく……元気な奴ぅぅっ」
 ふくれながらも、どこか安心したものを感じながら、オムレットは階段へと走っていった。



 






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