14. Writer 神実
「……」 「よっ。……えへ。泊めて」 寝ぼけまなこのシリオンの屋敷にオムレットが訪れたのは、深夜のまっただ中だった。 屋敷は学術院の奥深くにある為、彼女にはイフィッシュ通りの喧噪が届いていなかったらしく、虚ろな視線と動きの鈍さが今まで夢の世界にいた事を物語っている。 寝起きのシリオンが常に不機嫌なのは知っていたので、オムレットは言い訳などせずいきなり本題を口にした(玄関先で)。 「襲われた」 「……誰に」 「あたしに」 「……入れ。寒い」 「お邪魔しまーす」 人の家とも思わず軽い態度でオムレットはシリオンの後に続いた。 玄関を通るとすぐに広い吹き抜けのホールがあり、龍の骨の模型が天井から吊して飾ってある。それをぐるりと囲むように石の壁沿いに階段があり、二階の部屋へと続いていた。アクセントに打ち付けられた木材が彩りを与えている。 妙に雑然として見える室内は見渡す限り、本だった。 階段にも本、床にも本、扉の前にも本が積んであり、本の他には何かの骨の模型や標本、星図や研究器具が乱雑に置き散らかしてある。後はわずかに生活の痕跡を残す陶器などが置かれているだけだった。 「うっわー、相変わらず片付いてないわねえー」 「うるさいな……自分でどこに何があるか解ってるからいいんだよ……」 「ホントに?」 「……うるさいな。いいから何か飲み物でも煎れてきたらどうなんだ」 「へいへい。カップ二つあったよね?」 「どっかに」 勝手知ったるといった様子でオムレットは台所に向かった。 それを見もせずに、シリオンは適当な椅子に座り、眠そうに脚を組んだ。 「……で?部屋どうしてきた?」 「たぶんー……爆破したんじゃないかと」 「あぁ?……じゃ『機械』は」 「パアですとも」 階段に座り込んでいたオムレットは、煎れたての温かいムムをごくりと飲み干しながら、長い脚を投げ出した。 ヤケっぽい様子にシリオンも無闇な不機嫌を振り回すのをやめた。 「……同じ姿の奴に攻撃……」 カップを握ったままシリオンは考え込むように目を細めた。猫舌の為、冷めるまで飲めない。 「たぶん……初歩的な幻像魔法だな……。随分古いやり方だが……」 「幻像ぉ?」 眉をしかめた友人に、銀髪の魔法使いは講義口調で言った。 「それにちゃんと手応えはあったんだろう?」 壁際まで吹っ飛ばした感触を思い出し、オムレットは頷いた。 「じゃあ、実体にターゲットの姿を映しだす鏡影法の一種だな。魔力を持った傭兵なんかが使ったりする手口なんだが、自分の躰の表面に、ある種の屈折率を持たせる……つまりスクリーン化させるわけんだけど、そこにあらかじめ組み込んでおいたターゲットの姿を映し、ターゲットから見てその映しだされた映像を見せるという魔法だ。昔は宗教的な理由から裏切り者の処刑なんかに利用されていた魔法なんだが、今じゃ知っている者もごく少数になってしまった滅び去る魔法なんだが……解った?」 ものすごく頭の痛そうな顔をしている友人に、シリオンは無情にも冷たい視線を投げ付けた。 「……つまりアレはどこぞの刺客なのね?」 「……無茶苦茶脱力する答えだな。まあ、そうだけど」 「普通に変身したりする魔法とかのが早くない?」 「そりゃ早いだろうが、姿変えの魔法はなかなか高度なんだ。そんな魔法使える奴なんぞ、私が知ってる中では……」 そう言ってから、シリオンはふと言葉を途切らせた。口元に手をやり、考え込んだ。 (待てよ……いや、でもまさかな……わざわざあいつが……) 考え込んでいるシリオンを見ながらオムレットがむくれた。 途中で言葉を切られると気になる質なのである。 むくれつつも、気になっていた事を言ってみた。 「……でもさあ、何でいきなりあたしが襲われなきゃなんないわけ?っていうか誰によ?」 その問いに顔を上げたシリオンはこっくりと大きく頷いた。 「至極もっともな意見だろうな。だが私からすれば知るかそんなものという感じだ」 「ああ、そうかい」 溜息をつきながらオムレットは冷めたお茶を飲み干した。 が、その顔には深い懸念の色が浮かんでいた。 初歩的とはいえ、魔法は魔法。おまけに幻の森であんな事があったばかりだ。 (……帰ったあと、すぐ提出したんだろうなあ……報告書……リオだし……) 昼間考えていた『最悪の場合』が早くも来たようだった。 オムレットは友人を横目で眺めた。冷え切っているのか、白い指先をカップに押し当てている。 彼女がこの可能性を考慮していないとは考えたくなかったが、時々底抜けたように常識の無くなる性格だったのを、オムレットは嫌々ながらも思い出していた。 「ねー……リオー……」 「その呼び方はやめろと言っているだろう」 どうすんの?と言おうとして呼びかけたが、その問いは途中でピシリとはねつけられた。 オムレットの質問を遮って、シリオンは手近に積まれてあった本を手に取り、ページをめくった。 「……もう…………かな……」 「え?」 低い声で小さく呟かれた言葉は、何か深い響きをもっていた。 オムレットは反射的に身構え、聞き返したが、答えはないようだった。 シリオンはしばらく黙ったまま、本のページをぺらぺらとめくり続けることをやめなかった。そうしながらも金の眼だけは──ランプの灯の下ではほとんど無色に見える──まったく別の所を見つめているのだ。 そんな彼女をオムレットが眺めて数分が過ぎ、不意にシリオンは溜息をついた。開いていた本をぱたんと閉じる。 「今日はもう寝たいな。とにかく眠い」 その言葉にオムレットは微笑んだ。 「だね。何かもう寝た方がよさそ」 「って、お前寝るつもりなのか?」 「え、寝かせてよ。ここん家広いんだから一部屋ぐらいイイじゃん」 「一泊銀貨五枚」 「金とんのかよ!!しかも高いし!!」 「あー、寒いな」 「ちょっとおお!部屋貸してよーっ!」 騒ぐ二人とは関係なく、事件の夜は過ぎていった。 翌日、いつも通りに起きることが出来たシリオンは、自分の研究室を前に立ち尽くしていた。 彼女のような博士級の研究者達は、マトディを構成する五つの塔のうち、どれかに自分の研究室が与えられるのだが、その部屋の前で、扉を開けた形のままシリオンは固まっていた。 荒れている。 というか、崩れている。 持ち主にしか解らない整然性を持って片付けられていた、本や書類や研究器具のありとあらゆる全てが、ひっくり返され、崩れ、開かれている。 無表情を張り付かせたまま、シリオンは咄嗟に屋敷に残してきた友人を思い浮かべた。 ここが荒らされているという事は、あっちの可能性も…… そう思ったが、さして急ぎもせずに部屋の中の点検を始めるところが、シリオンらしいところだった。 (……別に実験レポートや論文には手を付けられてないな……荒らしただけか?まさかな……) いくらか見分したあと、何も盗まれていない事が解った。 「何を探してたんだ……?」 口に出してみたが、疑問は晴れなかった。一体どういう事だろう? ふと、頭の中で何かが繋がった。当たり前のように今までの事が思い出された。 オムレットの部屋に何者かが忍び込み、彼女を攻撃した。 シリオンの研究室が何者かに荒らされたが、何も見つけることは出来なかった。 こんな事が起きるようになったのはごく最近だ。最近二人に共通して起きた出来事とは何だ? 「……やっぱり厄介事だったみたいだな……あのお姫さまは」 借りたベッドの中に心地よく埋もれていたオムレットは、ぬくぬくとした夢の中から突如引きずり出された。 「な、なんだ?!」 「いつまで寝てるんだ、お前は。人の家で」 眠っていた彼女をベッドごと、魔法によって揺すぶってやったシリオンは、飛び起きた友人の傍まで近付き、きっぱりと言った。 「今夜、幻の森へ行くぞ」 「へ?夜?」 「……マトディの」 ヒュッと息を吸い込む音が聞こえた。 「学院の管理下から出る」 「……マジで?」 「マジで」 似合わない物言いをした友人の顔を、オムレットはしげしげと眺めた。 不意に口の端をニイッと持ち上げて、言った。 「オッケイ。ちょうどいいや、あたしもそろそろこの街飽きてたし」 「今の内に準備してこい。……もう二度と戻らないだろうからな」 「んー、じゃ陽が落ちる前ぐらいに、ここ戻ってくるよ」 そう言ってオムレットは寝癖だらけの頭のまま、玄関の方へと向かった。やがて扉の開け閉めする音が聞こえた。 それを見届けてから、シリオンはぐるりと屋敷の中を見回した。 懐にあった本を取りだし、『変化』の項を開いた。 一文を撫でると、文字が薄く黄金色に輝き、部屋中に散らかされていた本や道具類が一斉に動き出した。本は本棚へ、道具は道具棚へ仕舞われ、台所の水桶にあった洗われたカップは食器棚へと片付けられた。 シリオンはあまり日常的な行為に魔法を用いる人間ではなかったせいか、こうすればさっさと片付いていたのか、と今更のように気付いていた。 本棚に近付き、数冊の本を抜き出し、床に置いた。 別の棚から研究器具を一つ二つ取り出すと、それも床に置いた。 再び本のページをめくり、再び『変化』の項を開く。 さっきとは別の文を撫でると、床に並べられた物達は鈍く光りながら数個の水晶へと姿を変えた。書物は薄茶の石に、器具は青い石に。 それを懐へ入れると、シリオンは疲れたように階段に腰掛け、もう一度室内を見渡した。 自分を見下ろす龍の骨格は、ここへ初めて来た時からずっと変わらない位置にある。変わるのは人の方だけだった。 主のロンカドールが消え、今またシリオンも去ろうとしている。 十一年間、育った家だ。 記憶のない自分の、唯一の過去の舞台だった。 この家以外に居場所はなく、あったとしても忘れてしまった。 (ロンカドール、マゼッタ、シド、それから……) すっと指先を壁に走らせ、シリオンは呟いた。 「何で失わなければならなかったのか、それを私は知りたいんだ」 記憶のない自分にとっての唯一の過去である彼らを、なぜだったのか── 「オムちゃん、焼きたてだよ、買ってくかい?」 屋台先から声をかけられ、オムレットは振り返り目を輝かせた。 |