12. Writer 神実
オムレットが目を開くと、そこはすでに学術院の魔法陣だった。 傍らのシリオンが大きくため息をついて本を閉じるのを眺めながら、オムレットは空腹に疼くお腹を押さえた。 「……でもほーこくが先なんだよねっ!いいよいいよっ!さっさと済ませてちょーだいっ!」 一人でそう騒ぎ出した友人を、シリオンは奇異なものを見るように横目で見遣った。そして言われた言葉はオムレットにとってはかなり信じられないものだった。 「今日は食事が先だ」 「……へ?」 予想外の発言にオムレットが呆気にとられているのにもかまわず、シリオンは白亜の魔法陣からさっさと降りていった。 「うええー?め、珍しい……」 驚きながらも彼女の頭の中には、すでにこの時季の旬の食材の名前がズラリと並べられていた。 先を歩いていたシリオンに追いついたオムレットは、その足取りの速さに再び驚きつつ、声をかけた。 「ねー、どこで食べんのー?」 「……リアラロはそろそ飽きたしな……どこか無いのか?」 「……あ!こないだ行った店ですっごい美味しいトコあるよ!そこ行こ!」 「出来れば静かな所が……」 「大丈夫!そこ全然お客こないからっ!」 「……それは店として大丈夫なのか?」 ジト目で睨みつつも、跳ねるように急ぐオムレットのあとを追った。 オムレットの案内した店は、シリオンが危惧したほどマズイものでもなかった。 石造りの堅牢そうな古い店で、武骨な扉の上に素っ気なく『食事 ザイツ』と書いてあった。なるほど、オムの好みだな、とシリオンは思った。 「いらっしゃい」 扉を開けると、陰気な声が投げかけられた。 「おっちゃん、また来たよーっ!今日は……」 明るく喋っていたオムレットは、ふと言葉を途切れさせ、隣にいるシリオンに目をやった。 「……トモダチも一緒ー」 「なんだその間は。悩むな」 窓際の落ち着いた雰囲気の席を選ぶと、シリオンは周りを見回して、へえ、と呟いた。 「なるほど。まあ、いい感じじゃないか」 「でしょでしょーっ?!」 シンプルな内装は木材で統一されていて、ところどころに青い陶器を飾っていて、外観より随分暖かみのある彩りだった。 二人は注文の品書きを見ながら、味見のつもりでいくらかの料理を注文した。 店主は無口な質なのか、オムレットの凄まじい注文ぶりを聞いていても眉一つ動かさずに奥へと下がっていった。 それを待っていたように、シリオンは気怠そうにテーブルにひじをついた。 「あー……」 「……何よ。いかにもダルそうに。そういえば珍しいわね。君が先に食事しよう、とかさ」 「……お前はあの子の事、どうするべきだと思う?」 オムレットはきょとんと目を見開いた。 「どうって……別に?住まわせてやりゃいいんじゃないの?犯罪者ってワケじゃなさそうだし……しかも何?彼氏待ちみたいだったじゃん。テウムだっけ?」 特に深くは考えずに言った言葉を聞いてるのかいないのか、シリオンは口元に手をやって唸っていた。 その様子に眉をひそめたオムレットは声を低くして尋ねた。 「何。なんかあんの?あの子に」 「……絶対人間じゃないな……あの……結界の規模と精度からして……かなり……」 独り言のような呟きに、オムレットはひそめていた眉間の皺を、少し深くした。 「え……人間じゃないって……どうゆう事?精霊とか人獣って事?」 人の姿をした別種族の名をあげるオムレットに、シリオンは肩をすくめた。 「さあな。そこまでは解らないが……ただ……あの結界の設計時代の古さからして、前回の調査隊が来た時には、あの子はあの場所ですでに眠っていたはずなんだよな……」 「……もしかして発見の事実を隠してたって事?」 「もしくは……隠されたか」 第一調査隊のレポート作成者の名前が消されていた事を思い出しながら、シリオンは言った。 規模のわりには易々と結界中央部まで侵入できた事を考えると、前回の調査隊があそこまで到達しなかったのはあり得ない。 「隠された……ねえ。そんなコトするメリットがあるの?あの子に」 「……何かあることは間違いない。都合の悪い事を隠すためなら人死にも問わない。マトディなら」 突然温度の下がった声に、オムレットはシリオンの住む屋敷の本当の主の事を思い出した。 厳しくも優しかった、あの喰えない笑みを常に浮かべていた小柄な老人の、褪せたような緑の瞳──異端のロンカドール。記憶を失い、実験材料として捕獲されたシリオンを我が弟子にした老人の姿は、今はもう無い。 「何があるのか解らないが、あの子もいつまでもあそこにいるべきではないだろうな」 金の瞳が猫のようにちらつくのを見ながら、オムレットは軽く頷いた。 ──ふと、首筋の毛が総毛立った。 「お待たせしました」 陰気な声と共に、運ばれてきた大量の皿に二人は同時に顔を上げた。 「うっわーっ!いーい匂いーっ!!」 「あー、お腹空いてた」 さっきまでの空気など一変して、明るい空気になった二人は、さっそく並べられた料理に取りかかった。 華やいだ気分になったテーブルに、オムレットはごく普通の口調でシリオンに訊いた。 「で、どうすんの?あの子」 「……とりあえず、報告書には書かずにおく。それで向こうの反応も解るし」 「ふーん」 興味の無さそうな声でオムレットは返事をした。 魚の煮込みを食べながら、今後友人の周囲に気を付けないとダメだな、と考えた。学院側がどんな風に出るか解らない以上、最悪の場合消される可能性もあるのだから。 そう、ロンカドールの時みたいに。気付いたら。 だが、先に手を出されたのはシリオンではなくオムレットだった。 |