17.


Writer 神実





 ルッケリの言葉に、額を軽く押さえながらシリオンがふぅっと溜息をついた。
「……今度は猫か」
 オムレットも、あまりの噂の混迷ぶりに思わず呆れながら、ルッケリに尋ねた。
「ね、その噂、余所でも二つばっかし聞いたんだけど、どれが本当なの?」
「どれがったってねえ。私も客との雑談で聞きかじっただけだし……あら、そうだ」
 ぽん、と手を打って彼女は店主用のカウンターの傍に置いてあった飾り棚の中を、しゃ らりとした指 でごそごそと探りだした。
 何をしているのか、とオムレットとシャラが覗き込もうとした矢先に、ルッケリが「あ ら、あった」 と華やかな声をあげた。
「随分前に仕入れたものだから無くなってるかと思ったけど、置いてあるもんだわねえ」
 艶やかに微笑みながら彼女が掌に載せて三人に見せたのは、くすんだ銅色の小さなリン グだった。細 い表面には一本の鎖模様が刻み込まれており、取り立てて美しいわけでもないが、アン ティークな趣が ある。
「指輪?」
「わあ、綺麗」
「“鏡の指輪”っていうのよ。幻惑から身を護ってくれる……ま、一種の魔除けかしら。 たくさん買っ てもらったから、おまけであげるわ」
「ホント? ありがとー」
 いいのよ、と言いながらルッケリは、それぞれの掌に一つずつ指輪を渡してやった。
「非売品だし効果は保証できないけどねえ。気休め程度に持っていきなさいな。……それ と、今思い出 したんだけど」
 濃い眉を少しばかりひそめて、ルッケリは言った。

「あの森には昔から妙な魔物が出るって話があってね。悪魔や魔物が集まってパーティー を開いて、余 興に人間を迷い込ませては幻や何かで弄んでは殺すって言い伝えがあるのよ。……どこま で本当かは解 らないけど、実際に行方不明になった村人もいるらしいわ。森の中にはそうやって殺され た人達の亡霊 が、次の余興の犠牲者を求めてうろうろしてるって噂よ……」

 真に迫った語りに、オムレットはやや蒼白になった。自慢じゃないが、怪談的な話は大 の苦手なのだ 。
「は……ははは、そーんな魔物とか全然怖くないわよーあたし達が行くのは昼間なんだ しー」
 引きつった笑い声をあげるオムレットに、シリオンはクールに「脚が震えているぞ」と 突っ込んだ。
 きょとんとした顔で話を聞いていたシャラは、足下のパクゥと目を見合わせて、不意に にっこり微笑 んだ。
「パーティーだって、楽しそうだねっ。見付けたらシャラ達も混ぜてもらおうねっ」
 やけに楽しそうなその一言に、他の三人は思わず彼女を凝視してしまった。
「いや……あの、シャラ?」
「……シャラちゃんって……」
「重要視するポイントはパーティーの方か……」
「え?」
 そう来るとは思っていなかった為、大人三人の表情は微妙だ。特に、元々怖がらせよう とした所があ るルッケリは悔しそうだ。
 そんな彼女達の反応などどこ吹く風のシャラは、楽しそうに貰ったばかりの指輪を左手 の人差し指に はめてみた。
「ピッタリ!」
 その隣で、シリオンも右手の中指にピタリとはまるのを発見していた。
 背後にいるオムレットはどうか、と振り返ると、彼女は右手の薬指にはめているところ だった。
「お前、剣を使うのに右手でいいのか?」
「だって他の指だとサイズが合わないんだもん。これぐらいなら別に平気だし」
「じゃあ、これでお買いあげね?」
 ルッケリが満足そうな表情でそう訊くと、三人は揃って頷いた。
「さっきの値段でねっ」
「はいはい。包む? それとも着て行くの?」
「このまま森に行くつもりだから着て行くわ」
「そう。大変ねえ冒険者も……。ま、仕事が終わったらまたいらっしゃいな。安くしたげ るかもしれな いわよ」
(……可能性でしかないのか……)
 三人は同時にそう思ったが、親切にしてもらったことには変わりない。また訪ねること を約束して笑 顔で礼を言った。
 店を出ると、急に外気をの冷たさが身に染みて感じられた。
「やっぱ寒かったんだねー」
 シャラが首周りのたっぷりしたフリルに顔を埋めながら言った。
「シャラ、本当にそれ寒くないの? ひらひらしてるよ」
 やたらとレースやフリルの多くあしらわれたシャラの服は、重ね着しているから寒くは ないのだろう が、見た目にはとうてい暖かそうには見えない。短いスカートから覗く太腿がそれをさら に寒そうに見 せている。
「平気だもん」
「風邪引かないでよー?」
「引かないもん。オムこそ引かないでよねっ」
「大丈夫だろう。こいつは風邪を引けない人種なんだ」
「それは馬鹿って言いたいの〜か〜し〜ら〜?」
 ギリギリとシリオンの詰め襟を締め上げようとしたが、横から漂ってきた屋台の匂いに パッと表情を 変えた。
「あっ、串焼き!」
 飛びつこうとしたが、後ろからシリオンが冷静に襟首を掴んだ為、阻まれてしまった。
「だからお前は風邪を引かないと言うんだ。これから森に行くと言っているだろうが」
「その前に腹ごしらえしようよ〜」
「お前の腹が満たされるのを待ってたら日が暮れる」
「あたしの串焼きぃ〜っ!!」
 ずるずると引きずられていったオムレットの叫びが虚しく通りにこだましたが、無論助 けようとした 者はいなかった。



 街から馬で数十分程の場所に、鬱蒼とした森がある。
 “影踏みの森”や“悪魔の集う森”として噂の絶えないレルムの森だ。
「暗いな……」
 森の中に足を一歩踏み入れてから、三人は改めてその暗さと陰気さに驚いていた。まだ 昼間だという のに、太陽の光は木々に遮られて大地まで届いておらず、そのせいか草花に生気はなく、 湿った空気を 漂わせている。まともな生物なら二日といられないような場所だった。
 ろくに道もない森を進みながら、シリオンが手元に明るい光を呼んだ。それを頭上へと 放してやると 、三人の狭い周囲が照らされた。
 明るくなったことで安心したのか、オムレットが口を開いた。
「この森のどこに何があるんだろ。リオ、解る?」
「…………だから探索系は」
「ああ、はいはい。そーだったわね。じゃ……シャラは?」
「解んない」
 簡潔な答えに、ちょと期待していたオムレットは天を仰いだ。仰いだところで木しか見 えないのだが 。
「こーんなんで何しろってのよーう」
「怪談でもしてやろうか」
「け、けけけ結構ですっ」
 慌てて首を振るオムレットに、意地悪くシリオンがどう怖がらせようかとよく回る頭を 働かせた時、 シャラがある方向に目を奪われた。

 森の奥に、緑の光がちらりと横切ったような気がする。

 あれ? と思って目を擦ってみたものの、次の瞬間にはその光は消えていた。
 思わず首を傾げて目を逸らすと、再び目の端を何かがゆらりと横切ったような気がし て、シャラはパ ッと振り向いた。
 しかし、そこには何もいない。
 急にぞっとしたシャラは、傍らのオムレットにすり寄った。悪魔や魔物は平気でも、亡 霊となるとい かにシャラであっても話は別である。
「どーしたの? シャラ」
「い……今、何か……」
「え?」
 と、シャラが指差した方向を振り返ったが、そこには別に何もない、ただの暗い森が広 がっているだ けだった。
「何ー?」
 怪訝そうな表情でオムレットがシャラの方を見ると。
 彼女のその足下に、子どもが蹲っていた。
「……っ、シャラっ、そ、そ、そ、それっ……!!」
「え?」
 オムレットが恐怖に引きつった顔で指差している自分の足下を見ると、すでにそこには 何もおらず。
「何もないよ?」
 若干恐怖を滲ませた表情でシャラがオムレットを見上げると、蒼白な顔の彼女は、一瞬 で消えた子ど もの姿に失神寸前になっていた。
「……おい、何を二人で抱き合っている?」
 二人の五歩ほど先にいるシリオンが、足を止めて縋り付きあっている二人の姿を見て、 怪訝そうに訪 ねた。
 寒いのか? と見当違いなことを言っている彼女に、今あったことを言おうとしたオム レットは、あ わあわと口を開こうとしたが、どこからか聞こえてきた猫の鳴き声にびしりと硬直した。

 ───ニャアーーー……オ………アァーーオン…………。

「ねっねっねっ、ねこっ、ねこっ……!!」
 ひいい、と抱き合うオムレットとシャラは、最早恐慌状態一歩手前で、オムレットなど はそのまま気 を失ってもいいような気分だった。
 流石にシリオンも今の鳴き声は聞こえたようで、辺りを見回した。猫の姿など見えない し、そもそも 生き物自体の気配も感じられない。
「猫などいない。惑わされるな」
 そう言っても、オムレットの耳には入っていないようだった。
「きっと殺された村人に飼い猫がいてっ、飼い主を捜しに森に入ったところを魔物に食べ られちゃって っ、それでその猫も一緒になって森の中を彷徨ってるのよっ!! いやあっあたし幽霊に 何かされるほ ど悪いことしてないーっ!!」
「そっ、そうなのお?!」
 パニックを起こすオムレットの話に同調して怖がるシャラに、シリオンは思わず溜息を ついた。
「創作もそこまで瞬時に作り上げられれば大したものだな、風邪知らず」
 こうしていても埒があかないと悟り、仕方が無く苦手なものの探索魔法を使おうかと考 えていた時、 今度は遠くからカカッ、カカッ、という音が聞こえてきた。
「……これは……蹄?」
「きゃああああっ!!」
 二人の叫び声が重なって響いた。オムレットが指差す方向から、爛々と輝く双つの眼が 凄いスピード でこちらに近付いてきていた。
 暗い森の中にも関わらず、その躰自体から青白い燐光を発しており、その姿がはっきり と見える。通 常よりも三倍はあろうかという、鬣も猛々しい巨大な馬だった。
 真っ直ぐにこちらに向かって走ってきており、その進行方向だと三人が轢き潰される。
「木々に眠りし精霊に命ずる! 我を害するものの足を戒めよ!」
 その言葉に反応した周囲の木々が枝や蔓をしならせて、馬の足に巻き付こうとしたが、 足は蔓を擦り 抜けて、縛められることなく駆け抜け、速度を緩めもしなかった。
「何ぃ?!」
「わーっ! やっぱり幽霊なんだー!!」
 どうしようもなく慌てて脇に避けようとしたが、信じられないほどの速度で間近に迫っ てきている幽 馬に、三人は成す術もなかった。
(結界も間に合わない)
 危ない、と最前にいたシリオンが頭を庇って交差させた腕に蹄がぶつかりそうになった 瞬間、完全に 恐慌をきたしていたオムレットが発作的にルッケリから貰った指輪を馬めがけて投げ付け た。
 指輪が馬の額にぶつかった瞬間、その空間がぐにゃりと歪んだかと思うと、───一瞬 で幽馬の姿が 掻き消えた。
 その光景に、投げ付けた本人のオムレットが呆然とした。
「……き……消えた……?」
 シリオンとシャラも、顔をあげて辺りを確認したが、さっきまで迫っていた馬の姿はど こにもなく、 蹄の音すら聞こえなかった。
「どういうこと……」
「オム、お前指輪を投げたな?」
「え、う、うん」
「……ということは……」
 眉をひそめて唸るシリオンに、オムレットが何なのか訊こうとした時、シャラが凄い勢 いで振り向い て叫んだ。
「あそこ、何か変!」
 確信に満ちたその言葉に、シリオンは咄嗟に自分がはめていた指輪を抜き取り、シャラ が指した一点 に向かって投げ付けた。
 何でもない森の光景が広がる空間に、風を切った指輪がぶつかった。その次の瞬間、ま るで水面に波 紋が生じるように空間がたわみ、飛沫をあげて弾け飛んだ。

『うわっ』

 と声があがり、がさがさと繁みに何かが落ちる音がした。
 三人は顔を見合わせ、繁みへと駆け寄った。
「あ、あれ?」
 が、確かに音がしたにも関わらず、そこのは何の姿もなかった。
「何もいないよ」
「逃げたとしたら、相当素早い奴だな。どうやら、あれが噂の火の玉だろう」
「火の玉じゃなかったじゃん」
「だが、猫の鳴き声、馬とくればそうだろう。幻を破る指輪に当たって消えたところを見 ると幻影を使 う魔物か何かなのでは……」
 と言いながら繁みから躰を起こしたシリオンに引き続き、オムレットも立ち上がった。
「そっか。噂とも一致してるわね。じゃあ、あのシャラの足下にいた子どもも、もしかし てその幻影… …って、うわあっ!!」
 立ち上がってシリオンの方を向いたオムレットは、その魔法使いの鼻先に浮かんでいる 黒猫の姿に思 わず叫んだ。
「何それっ! いつの間に?!」
「喚くな、うるさい」
 動揺したオムレットの言葉にシリオンはあっさりと一刀両断した。
 いや、この場合、振り向いたすぐ目の前に猫が浮かんでいたにも関わらず、声一つあげ ないシリオン の方がおかしいのだが。
「なんで猫?!」
「ほんとだ。猫さん!」
 シャラは嬉しそうに歓声をあげた。
 ……オムレットは自分の反応の方がおかしいのだろうかと真剣に悩んでしまった。
 淡い緑の燐光を全身から放ちながらふわふわと浮いている猫は、そんな人間達を大きな 瞳できょろき ょろと見回してから、目の前の銀髪の人間に興味深そうに話しかけた。
『人間? 人間?』
 頭の中に直接響くように、悪戯っぽい少年の声がそう話しかけてきた。
「この子、喋れるの?!」
 シャラが驚きの声をあげた。
 ちなみにオムレットは何やらびくびくとシャラの背中に隠れていた。明らかに背中から はみ出ており 、意味を成していないのだが、さっき自分で言い出した“猫の幽霊説”から未だに抜け出 していないよ うだ。
『人間? ちょっと変だけど人間?』
「……お前こそ何だ。猫なのか?」
 くるくると自分の周りをまとわりつくように飛び回る猫に、シリオンは不快そうに眉を ひそめて訊い た。
 応えがあったことに嬉しそうにクスクス笑いながら、猫は彼女の目を覗き込んだ。
『お前も猫だ。月の猫みたいだ』
 猫は小さな子どものような笑い声をあげながら、小さく前足をかいてくるんと一回転し たかと思うと 、緑の炎が一瞬燃え上がり、突然人間の子どもの姿に変わった。
「ねえ、どっから来たの? 人間でしょ?」
 突然の事態の変化についていけない三人は、楽しそうに笑う子どもの姿をした“何か” を呆然と見つ めていた。
 髪は消炭のような黒。面白そうに輝いている大きな両眼は、さっきまでの光と同じ明る い緑だ。すば しっこい少年そのものの顔立ちは、どちらといえば可愛らしいものだった。
 伸びやかな躰は幼い少年のもので、腰回りに巻き付けられた布とわずかなアクセサリー 以外は何も身 に着けていない為に、よく陽に灼けたような黒い肌が剥き出しだった。その黒い左胸に は、不思議な文 様が刻まれている。
 呆然と子どもの躰を眺めていたシャラは、その子の足首から下が、馬か山羊のような蹄 の形になって いる事に気付いた。
「猫じゃないの?」
「いや、明らかにそうでしょ。ていうか問題点そこじゃないし」
 後ろからツッコミを入れつつ、オムレットは子どもを見た。
 依頼である火の玉の正体が、解ったようなそうじゃないような……。
「つ、つまり、モンスター……なの?」
「モンスターって何?」
 けろっと質問で返されて、オムレットは返答に窮した。
「えーっと……だからモンスターってのはー……うー……っていうか、だからあんたは何 なわけ?!」
 びしっと子どもに向かって指をつきつける。その指をじっと見つめてから、子どもは きょとんとした 様子で言った。
「解んない」
「解んない?」
「解んない。僕、何なの?」
 無垢な瞳でそう尋ねてくる子どもに、三人は顔を見合わせた。



 ふわふわと宙に浮く子どもに導かれて、三人は森の奥深くに向かった。
 淡い燐光を放つその姿は、上半身だけならばごく普通の少年と言えるのだが、やはりど こか人間離れ した雰囲気と、獣の蹄がそうは見せてくれない。
 一際濃い繁みを抜けると、見上げるような大樹がたっていた。
「うわ……大きい」
「すごい長生きだよ、この樹……」
 その樹の中でも、いくらか低い位置にある枝から、何か、複数の白い蜘蛛の糸のような ものが下がっ ている。色々な方向から伸びてきたその糸が絡み合って、ちょうど三人の頭上あたりに卵 形の繭が形成 されていた。
 だが、その繭は真ん中からぱっくりと破られている。
「これは……」
「気付いたら、破れてた。ここから落ちたの」
 ふわりと浮いて、子どもは繭を小さな手で撫でた。
「ここ出てから、お前達みたいな人間いっぱい見た。森から出て、人間がいっぱい住んで るとこにも行 ったんだ。ちょっと姿を変えて遊ぶとわーわー言って逃げるの、面白かったし」
「そういえば忘れてたけど、あの馬とか子どもとか鳴き声とかはあんたの悪戯だったわけ ねっ?」
「あはははー。だって面白いんだもん。すっごい声だったよ。僕もびっくりした」
「う……しょうがないでしょおっ。怖かったしっ」
 顔を赤くしてそう叫ぶオムレットに、シャラも子どもと一緒に笑った。
 そのやり取りを聞き流しながら、繭をじろじろ眺めていたシリオンは、手を伸ばしてそ の一部をつま み取った。それを口に含んでみて、考え込むような表情をして呟いた。
「ふん。……繭から出て数ヶ月というところだな」
「ええっ?! じゃ、こいつ生まれたばっかってわけ?!」
「まあ、繭の中で七、八年は過ごしているようだが」
 そう言ってシリオンは興味深そうに頭上の繭を眺め直した。オムレットやシャラも思わ ずつられて繭 を見つめてしまった。









 






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